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東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)184号 判決

原告 佐々木正泰

被告 中央選挙管理会委員長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、昭和三十八年十一月二十一日執行の最高裁判所裁判官入江俊郎、同斎藤朔郎、同長部謹吾、同山田作之助、同城戸芳彦、同石田和外、同横田正俊、同草鹿浅之介、同五鬼上堅磐に対する国民審査は無効である、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求め別紙の通り請求原因を述べた。

被告訴訟代理人は原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め、その理由として別紙「本案前の抗弁」の理由の通り述べ、更に原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする旨の判決を求め請求原因に対する答弁として、別紙「本案に対する答弁」の通り述べた。

(証拠省略)

理由

第一、本件訴が不適法であるという被告の主張に対する判断。

原告の本件訴が最高裁判所国民審査法第三十六条に基いて提起せられたものであることは原告の主張自体により明かで、同条所定の審査人に当る原告から審査の効力に異議を申立てるものであるからいわゆる民衆訴訟に属するものというべきものである。

被告は、「民衆訴訟は行政法規の違法な適用を是正するために一般国民が公共的監督的立場から提起するもので国民の有する審査権は一般行政訴訟の場合の如き広範囲なものでなく法律で規定された訴権の範囲に適応して制限を受ける。最高裁判所裁判官国民審査法第三六条は同法第三七条と一体をなすもので右第三七条によると国民審査の無効の確認を求める訴訟の提起が許されるのは審査手続が審査法又は同法に基ずく命令の規定に違反することを理由とする場合に限られる。審査法の規定の合憲性を判断したりあるいは具体的な審査手続の合憲性を判断することは許されないと解すべきである。」と主張する。

よつて案ずるに、なるほど民衆訴訟は私人が行政処分によつて自己固有の利益を侵害された場合その行政行為の不当を主張して救済を求めるため提起する一般行政訴訟と異り、行政法規の違法な適用を是正するために広く国民が公共的監督的立場から、行政処分の無効を主張することを得る訴訟の形態で、従つて如何なる場合にこれを提起し得るかは法律により具体的に規定されその制限に従わなければならぬことは被告のいうとおりである。しかしその行政処分が違法であるか否かを判定する基準を単にその行政処分のなされた基本の行政法規のみに限定しようとする被告の主張は納得できない。ある行政処分がそれの基ずく行政法規に従つてなされたものであつても右行政法規が更に根本の法規である憲法に違反するものであるために右行政処分も憲法に違反する結果となるならば右行政処分の無効を主張しその旨の確認を求めることを拒否する理由はない。それは民衆訴訟であろうがそれ以外の一般訴訟であろうが異なるところはないと考える。そしてもしその対象となつた行政処分ないし行政法規が違憲とされる結果基本の行政法規が改正されない限り再び適法な行政行為ができなくなるような困難が生じることをもつて民衆訴訟につき裁判所に違憲審査権がないことを被告は主張するがそれは本末を顛倒した議論であり、そのために憲法に違反する行政処分が見逃されたり憲法違反の法規の存続が維持せられたりすることは却つて永遠的見地からすれば社会の腐敗を来す結果を齎すものというべく、一時的困難の起ることをあらかじめ憂慮して根本の正義を無視することはとらざるところというべきである。以上の根本原理に照すときは国民審査法第三六条、第三七条を被告主張の如く解し国民審査の無効の確認を求める訴訟の提起が許されるのは審査手続が審査法又は同法に基ずく命令の規定に違反することを理由とする場合に限るとすることは失当というべきである。

第二、本件審査手続を違法とする原告の主張(請求原因七の1乃至5)に対する判断。

1、について

憲法第九七条第二項に定められる最高裁判所裁判官国民審査は一種の解職投票制度であつて、裁判官任命の適否を審査決定する制度ではない。これは従来しばしば当裁判所の判決において示した見解でありかつて最高裁判所も支持したところ(昭和二七年二月二〇日言渡判決集六巻二号一二二頁)である。これに反する原告の見解は採用できず、従つてこれを非難し原告の独自の見解に従つて国民審査法が憲法違反の法律であるとしこれに基いて行われた本件国民審査が憲法違反であるとする主張は採用することができない。

2、について

本件国民審査施行にあたつてその投票所が審査法第一三条の定めに従つて設備された結果衆議院議員選挙の投票所と裁判官国民審査の投票所との出入口を一つにし、その入口に棄権を望む者は投票用紙を受取らなくてよい旨の貼紙をしたこと、投票用紙の持帰りを禁じていたことは当事者間に争ないところである。

ところで右のような設備の投票所で出頭した審査権者に対して係員が審査の投票用紙をさし出したとしても、ことに衆議院議員選挙の投票用紙とともにさし出したとしても審査権者は審査の投票用紙を受取らないことは不能ではなく、前記のような貼紙による注意をしてある以上、投票用紙を受取ることを強制したとは認めがたい。また一度受取つた投票用紙の持帰りを禁じられたからといつてどうしても投票しなければならないわけではなく、投票用紙を投票所内において立去ることはできるのである。本件審査において前記のような設備のもとに選挙の投票用紙とともに係員からさし出された審査の投票用紙を受取つて投票をした審査人があつたとしてもその者に対し投票が強制されたのだとはいい得ない。選挙の投票所と審査の投票所とがその出入口を同一にしているため選挙の投票所へ入る者は同時に審査の投票所へ入らなければ出ることができないことをもつて憲法に保障される身体の自由を害するものでないことは明かである。本件国民審査が憲法第一三条に反して行われたとの原告の主張は採用に値しない。

3、と4、について

原告主張の如く審査法第一四条、第一五条によると審査を受ける裁判官が複数の時は投票用紙にこれを連記するを要し、又審査に付される裁判官の上に「×印」を記す欄を設け、罷免を可とする裁判官の上に「×印」を付し、罷免を可としない裁判官については当該記載欄に何らの記載をしないことと定め、更に同法第二二条によると、投票用紙に「×印以外の事項」を記入したものを無効と定めた結果、審査人は審査の裁判官全部について棄権することは可能であるが、一部の裁判官につき罷免を可とし、他の一部につき罷免を可としないものとし、残る一部につき棄権をするような投票を試みることが不可能となる。これは一見憲法第一九条、第二一条に保障された思想、良心の自由や表現の自由を妨げるものの如くに思われる。

そこである者は、投票用紙の「×印」を付する欄に「棄権」の文字を記入する方法によつてこの自由の妨げを除こうとするが審査法第二二条が存する以上この見解には無理がある。それならば右の如き結果を来す投票手続は違憲かというに当裁判所はそうは考えない。それは裁判官国民審査の場合は、1で述べたところから明かなように投票者が直接裁判官を選ぶのでなく内閣がこれを選定するのであり(それは単なる恣意的なものではなく一定の厳格な制限に服するものである)国民はただある裁判官が罷免されなければならないと思う場合にその裁判官に罷免の投票をするだけでその他については内閣の選定したところに任かす建前である。従つて罷免を可とするものでない投票と棄権とはいずれも裁判官の選定を内閣の任命したところに任しておく意味をもつに過ぎず特に両者を区別する意義を有しないものである。してみるとこの国民審査における投票においては通常の選挙の場合におけるいわゆる良心的棄権ということを考慮しないでよいものということができる(この点前記最高裁判決参照)。

なるほど国民審査法第三二条の規定からすると罷免を可とする投票と然らざる投票との比率によつて罷免の結果を判定することに定められているので、個々の裁判官に対する審査投票につき棄権の自由のあることにより罷免か否かを決する上に相異を齎すことが考えられないではないけれども棄権の行為が前記のように「罷免を可とするものではない投票」と結局同じ意味内容をもつものとするならば、このような棄権の自由が与えられない審査の手続を直ちに違憲とまでいうことはできないものとなすべきである。原告の3、4、の主張も採用できないところである。

5、について

原告は憲法第一五条四項により保障される投票の秘密とは独り何人のために投票が行われたかを外部から知ることができないというばかりでなく、棄権したかどうかが外部から知ることのできないことをも保障するものであるとし、国民審査法の規定により投票手続が行われる場合、あえて棄権を行わんとすれば何人によつてもそれがたやすく認められ著しく棄権の自由と秘密が侵されることになる、今回の審査もその例に漏れなかつたと主張する、しかし投票の秘密が保障されているのは、誰に投票したかの事実についてであつて誰が棄権したか否かについてではないこと被告の主張するとおりである。原告の主張は理由なき前提に立つものであつて採用の限りでない。

第三、結語

以上の次第で、原告が本件国民審査の手続が憲法に違反して無効であるとする主張並に立証は、最高裁判所裁判官の国民審査の手続を国民の総意を反映するため更に合理的な制度としようとする努力の現れとして傾聴に値するものというべきであるが既にしばしば同種訴訟が提起せられ、同様の主張に対する判断が示されている如く、本件訴訟においても当審査手続が憲法第十三条、第十九条、第二十一条等に違反し無効であるとする論は当裁判所の採用できないところであり、原告の請求は理由なきものとして棄却を免れない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 谷口茂栄 加藤隆司 安国種彦)

(別紙)

請求原因

一、被告は、中央選挙管理会(以下単に管理会という)の委員長であり、原告は、肩書地に居住し、昭和三十七年十月三十一日、目黒区選挙管理委員会で作成された基本選挙人名簿に登録され、衆議院議員選挙権および最高裁判所裁判官国民審査権を有するものであつて、昭和三十八年十一月二十一日の投票日に、東京都目黒区第三投票所で衆議院議員および最高裁判所裁判官国民審査(以下単に審査という)の投票を行つたものである。

二、被告は、昭和三十八年十一月二十一日執行の衆議院議員総選挙(以下単に選挙という)と同時に行はれた審査について、最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に審査法という)第五条の定めに従つて、昭和三十八年十月三十一日中央選挙管理会告示第一号を以て、投票期日を同年十一月二十一日、審査に付される裁判官入江俊郎、同斎藤朔郎、同長部謹吾、同山田作之助、同城戸芳彦、同石田和外、同横田正俊、同草鹿浅之介、同五鬼上堅磐の各氏名を告示し、さらに、同年十一月六日同会告示第三号を以て、その審査の場所を中央選挙管理会室、審査の日時を同年同月二十九日午後二時と告示された。

三、右審査執行のために、被告の設けられた投票所は、審査法第十三条の定めに従つて設けられた結果、選挙の投票所と審査の投票所の入口が一つであつて、投票者が入場すると、選挙の投票用紙が一諸に交付され、同一の記載台において記載をした上、選挙の投票を行い、さらに審査の投票を行つた後、同一の出口から退場するように仕組まれていた。そして、投票所の入口に投票をしたくない者は投票用紙を受取らなくてもよいと注意書がかかげられていた。

四、従つて投票者は、現実の問題として、一度投票所に足を踏入れた場合、本人の意思いかんにかかわらず、選挙と審査の二枚の投票用紙が交付され、その投票用紙は持ち帰ることが許されず、何も知らない者はそのまま投票函へ投入するような投票管理人の指図どおりの投票が行われた。

五、その際、被告が各審査人に対して交付された投票用紙は、審査法第十四条の定めに従つて作成された結果、その投票用紙には入江俊郎外八名の裁判官の氏名が連記され、その各裁判官の氏名の上に罷めさせたい裁判官に×の記号をつけるところを一ケ所だけ設け、任命を可とする記号を記載する個所又は記号が設けておらず、且つ投票用紙に×の記号以外の事項を記入したものは、同法第二二条の規定で無効とされていた。

六、被告は、かくして行われた投票の結果を、各審査分会から報告を受け、昭和三十八年十一月二十九日午後二時中央選挙管理会室において、審査会を開いてこれを調査し、審査法第三十二条の定めに従つて、無効投票以外の投票を、罷免を可とする投票と、罷免を可とする投票でない投票との二種類に分けて、審査の何ものであるか判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の、絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入して、全裁判官の罷免を可とされないことに決定され、同年十二月二日同会告示第四号を以て、審査に付せられた裁判官は、いずれも罷免を可とする投票の数が、罷免を可としない投票の数より少数であるので、罷免されない旨を告示した。

七、しかし、右法条による施設と審査は、左の理由によつて無効である。

1、憲法第七九条第二項の定める審査は、国民の意思によつて裁判官に対して罷免を求める、所謂裁判官に対する解職投票を行う制度でなく、同項の明文の示すが如く、天皇又は内閣の任命行為の適否を審査決定する制度であつて、その投票は、つねに天皇又は内閣の任命行為に対する信任投票を行うべきものである。少くともわが憲法の規定の上では「任命を可とするか、罷免を可とするか」の形式で行わるべきであつて、裁判官その個人に対する解職投票を行うべきでない。

然るに、現行審査法は解職投票を規定し、この規定によつて今回の審査が行われたものであるが、これは明かに前記憲法の条規に反するものであつて、法律上その効力のないものである。

2、われら日本国民は、憲法第十三条の定めるところによつて、身体の自由を有し、投票所に出頭するの自由と、出頭しないことの自由、および投票すると、投票しないの自由を有する。審査法第一三条の定めに基いて設けられた今回の投票所の入口と出口とが一ケ所であつて、選挙の投票を行はんとする者は、否応なしに審査の投票所に入らなければ場外に出られない施設になつていたので、各審査人は、全く審査の投票所に入らない自由が奪はれた。のみならず、審査人が投票所に入つた限り、本人の意思いかんにかかわりなく、投票用紙が交付され、管理人監視のもとにその持帰りが許されずして、そのまま投票函へ投入しなければならない仕組みになつていたので、各審査人は投票しないことの自由(棄権の自由)が奪われていた。

これらは投票所へ入りたくない審査人に対して、投票所への出頭を強制したことになり、また、投票を欲しない審査人(棄権したい審査人)に対し、投票を強いたことになり、正に憲法第一三条で、最も尊重されなければならない身体の自由および表現の自由を侵したことの甚しいものであつて、この施設によつて行はれた今回の審査は当然無効である。

3、審査法第一四条の定めに基いて投票用紙を作成し、入江俊郎外八名の裁判官の氏名を連記して、各裁判官についてその任命を可とする記号をつける個所を設けず、ただ各裁判官の氏名の上に、罷めさせたい裁判官に×の記号をつけるところ一ケ所だけを設け、同法第二二条の定めを設けて、投票用紙に「×の記号以外の事項」を記入したものを無効として取扱つたのでは、一人の裁判官に対し罷免投票を行い、他の七名の裁判官に対して棄権したい審査人は、一人の裁判官に対する「罷免の投票」を断念するか、他の七人に対する「罷免を可とする投票でない投票」を甘んずるか二者何れかを行うの外なく、これは投票の自由を奪つたことの甚しいものであつて、これ亦、憲法第一三条で保障された身体の自由と同法第一九条、第二一条で保証された思想および良心の表現の自由を奪つたものであつて、このような規定に基いて行はれた今回の審査は、この点でも憲法上当然無効のものである。

4、日本国民は憲法第一九条、第二一条の定めるところによつて、思想および良心の自由が保障され、各個人は自己の思想を抱くがままに発表するの自由を有し、又感情の許さない思想、良心の発表は、これを拒むの自由が与えられ、又各人の思想および良心は、これを曲げて取上げられ又はその希望に添はない法律上の取扱いを受けないということが保障されているのである。

審査法第三二条の定めによつて、無効投票以外の全投票を、×の記号ある投票と、無記入の投票との二つに別けて、×の記号のある投票を罷免を可とする投票とし、審査の何ものであるか判らない者、裁判官の氏名をすら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の無記入投票を全部「罷免を可とする投票でない投票」として取扱うことは、これら投票者の意思を抂げて解釈し、且つ本人の欲しない法律上の取扱いをするものであつて、この点でも前記憲法の条規に反する無効のものである。

5、審査法の前記各条規に則つて行はれた今回の審査は、憲法第一五条第三項で各投票者に保障された投票の秘密が侵されていた。

すなわち、右条規によつて保障される投票の秘密とは、独り何人のために投票が行われたかを外部から知ることができないということばかりでなく、何人のためにも投票が行はれなかつた、換言すれば、棄権したかどうかが外部から知ることの出来ないことも保障されているのである。

しかるに、現行審査法においては、選挙又は審査を通じ常識として、行はなければならない「白票」による棄権が認められていないので、あえて棄権を行はんとすれば、(1)投票用紙を受取らないか、(2)受取つた投票用紙を返すか、(3)受取つた投票用紙を破棄してこれを投捨てるか、(4)受取つた投票用紙を投票函以外のところへおくか、(5)投票用紙に余事記入を行うか、その他に方法はあり得ない。

ところで、前記(5)の方法を除く(1)乃至(4)の方法による棄権は、後から後からと続く多くの投票者や、選挙管理人、投票立会人等の面前で公然と行はなければならない方法であつて、棄権をすることが何人によつてもたやすく認められ、著しく棄権の自由

と、その秘密が侵されているものであつて、この点でも今回の審査は無効であると信ずるものである。

以上の理由によつて今回の審査は無効であるから、裁判所におかれては、速かにこれが無効を宣言され、憲法に適合した審査法の制定に端を与えられ、真に意義ある審査の行はれるよう、判決せられんことを求める次第である。

(別紙)

答弁書

本案前の抗弁

本件訴を却下する

訴訟費用は原告の負担とする

との判決を求める。

理由

一、本件訴訟は、最高裁判所裁判官国民審査法(以下単に「審査法」という)第三十六条の規定により提起されたもので、民衆訴訟に属するものである。しかして、原告の主張は、本件国民審査は、審査法の規定に従つて行われたものであるけれども、そもそも審査法に定める国民審査の方法が憲法違反であり、従つて同法の規定の則つて行われた今回の国民審査の手続が憲法の保障する国民の基本的人権を侵害したから、無効であるというのである。しかしながら、このような訴は以下述べる理由により、不適法であるから、却下さるべきものである。

二、裁判所は、一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有するが(裁判所法三条)、「一切の法律上の争訟」とは、無制限な法律上の争訟を意味するものではない。争訟は、特定の者の具体的な権利が侵害され、あるいは具体的な法律関係について紛争がある場合に限つて、審理の対象とされ、しからざるものは訴の利益を欠く不適法な訴として却下されることは、戦前から堅持された民事訴訟の根本原則である。新憲法の下において、裁判所の違憲立法審査権の範囲いかんという問題に関連して再び論題としてとり上げられたが、最高裁判所は「裁判所が具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するものとの見解には憲法上法令上何等の根拠も存しない」(昭和二七・一〇・八判決例集六巻九号七八三頁)と判示して、同様な見解を明らかにした。

この法理は、行政訴訟においても、そのまま適用されるものであつて、訴の利益を欠く行政訴訟は、不適法たるを免れない。

しかして、このような意味における訴の利益を有する訴訟(以下民衆訴訟及び機関訴訟に対して以下かりに「一般訴訟」と呼ぶ)については、裁判所は広範囲の法令審査権を有するものであつて、法令の合憲なりや否やを審査し、事案の判断にあたつて、違憲の法令の適用を排除することができる。

これに対して、民衆訴訟は、いわゆる訴の利益を欠くけれども、行政法規の違法な適用を是正するために、一般国民が公共的、監督的立場から提起するものであつて、法律の特別の規定がある場合に限つて、はじめて提起することができるものである。民衆訴訟について、国民の有する訴権の範囲は法律によつて与えられ、また裁判所の有する審査権は、一般訴訟におけるが如き広範囲なものではなくて、法律で規定された訴権の範囲に適応して制限を受けるのが通例である。

三、審査法第三十六条は、「審査の効力に関し異議があるときは、審査人又は罷免を可とされた裁判官は、中央選挙管理会の委員長を被告として、第三十二条第二項の規定による告示のあつた日から三十日以内に東京高等裁判所に訴を提起することができる」と規定している。同条の規定のみを形式的に解釈するならば、「審査の効力に関し異議があるとき」においては、審査人は理由のいかんを問わず、訴を提起することができるかの如くである。しかしながら、同法第三十七条第一項の「前条の規定による訴訟においては、審査についてこの法律又はこれに基いて発する命令に違反するときは、審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り、裁判所は、審査の全部又は一部の無効の判決をしなければならない」という規定と、同法第三十六条の規定とを前述した民衆訴訟の本質に照して考えれば、国民審査の無効の確認を求める訴訟の提起が許されるのは、審査手続が審査法又は同法に基く命令の規定に違反することを理由とする場合に限られることは明らかである。

審査法第三十六条に基く訴訟が提起された場合に、(一)裁判所は審査法の規定と具体的審査手続とが合致しているか否かということと、(二)両者が合致していないと認める場合(すなわち審査手続が違法な場合)において、はじめてその違法が審査の結果に異動を及ぼす虞があるか否かということの二点について判断し、審査手続が審査法に違背し、その結果に異動があると認める場合に限つて、審査の全部又は一部の無効の判決しなければならないのであるから、審査法の規定の合憲性を判断し、あるいは具体的な審査手続の合憲性を判断することは許されないと解すべきである。何となれば、行政庁の法規違反行為を弾劾するという民衆訴訟の本質にかんがみて、裁判所が審査の無効の判決をすることができるのは、審査法第三十七条第一項に該当する場合に限られるのであるから、審査法が違憲であるとか、あるいは審査法に適合してなされた具体的な審査手続が違憲であると判断しても、裁判所は、そのような理由によつて審査の無効の判決をすることはできないからである。さようなことが許されるとする考え方は、冒頭に述べた民事訴訟の根本原則を破壊するものである。このことは、民衆訴訟が国民の公共的、行政監督的立場から行政法規の違法な適用を是正するために法律に定められた範囲に限つて認められたものであるという民衆訴訟制度の本質から考えても、また審査法第三十七条第一項の規定(この規定は裁判所法第三条に対する特別規定であつて、裁判所の権限の範囲を定める規定でもある)から判断しても、容易に理解されるところである。

四、右の如き見解に反対して、審査法第三六条第三七条を次のように解釈する考え方がある。すなわち、

裁判所は審査法そのものの合憲性をも判断し得るのは憲法上当然のことであり、およそ審査の効力に異議のある審査人は同法第三六条の規定による訴を提起しうるものである。同法第三七条は審査について法令違反がありそれが審査の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限つて裁判所は無効の判決をすべきものと定め、無効判決すべき場合を限定するとともに反面審査について法令違反があつても、それが審査の結果に異動を及ぼす虞のないときは無効の判決をしてはならないと言うに過ぎない。審査法の規定の合憲性を判決してはならないとの趣旨は同条の規定からは全く認められず、又本来そのような趣旨の定めは憲法に認められた裁判所の所謂法令審査権を害するもので法律ではできない筈のものである(東京高等昭和三三年(行ナ)二五号・昭和三六年一〇月一六日判決)

というのがそれである。しかしながら、この見解は、憲法第八一条に定められた法令審査権の解釈を誤るとともに最高裁判所判決にも違反したものである。

五、まず、裁判所の法令審査権が一般的抽象的に無制限に認められるものではなく、具体的訴訟事件の判断に必要な限度においてのみ認められることは、現行憲法上における裁判所の性格から当然のことであり、つとに最高裁判所判例によつて確立された見解である。

しかして、法令審査権は、一般訴訟については、広範囲に認められるべきものであり、「法律で法令審査権を害することはできない」ことは右判示のとおりである。憲法又は他の法律によつて国民に権利が認められており、あらかじめ与えられた具体的権利が行政庁の処分、他人の行為等によつて侵害された場合に裁判所の救済を求めるのが一般訴訟であり、訴訟によつて保護さるべき「国民の具体的権利」救済の必要性が訴の利益とよばれているのである。憲法によつて認められた基本的人権が行政庁の処分によつて侵害されたとき、当該行政処分自体は法令の規定に合致しているけれども、法令の規定自体が憲法違反であると認める場合には、裁判所は国民の権利を救済するために当該法令の違憲性を宣言し、かかる違憲法令に基く行政処分の無効を判決するのである。これが、一般訴訟における法令審査権の姿であり、その範囲は極めて広いことは当然である。

これに対して、民衆訴訟は、「国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟で、選挙人たる資格その他自己の法律上の利益にかかわらない資格で提起するものをいう」(行政事件訴訟法第五条)のである。「自己の法律上の利益」、換言すれば一般訴訟における如く具体的市民的権利の救済を目的とするものではない。しかして、民衆訴訟は「国又は公共団体の機関の法規に適合しない行為の是正を求める訴訟」で、一般国民に公共的、監督的立場から、行政法規の違法な適用の是正を目的としているものであるから、一般訴訟の如く、国民の具体的市民的権利の救済のために法令の違憲性を審査する必要は全然ない。行政事件訴訟法は、一般訴訟に属する行政訴訟については、「法令」という語を用い(同法第三条、第四条)、民衆訴訟については「法規」という語を用いて、両者の使い分けをしているのは、このためである。

六、次に右の東京高裁判決は、最高裁判所判決(昭和三二年(オ)第五〇九号同三二年八月八日第一小法廷、例集一一巻八号一四四六頁以下)に違反している。

この最高裁判決の要旨は、「公職選挙法第二〇二条以下の規定によらないで選挙又は当選無効確認を求める訴は不適法である」というのである。すなわち、公職選挙法は、「その選挙の効力に関し不服がある選挙人又は公職の候補者」(第二〇二条)に民衆訴訟の訴権を与え、「選挙の規定に違反することがあるときは選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り」選挙又は当選の無効を判決すべきことを規定しているのである(第二〇五条)。右の最高裁判決は、選挙訴訟に関する訴権は公職選挙法第二〇二条以下の規定に従つてのみ与えられ、行使することができることを判示するとともに、裁判所は同法所定の要件に合致した場合にのみ選挙無効の判決ができることを判示したものである。従つて、かりに「選挙の規定には違反しないが公職選挙法の規定が憲法違反であるから当該選挙は無効である」ことを請求原因として、公職選挙法の規定に適合して行われた選挙の無効を主張する訴訟が提起されたときに、裁判所はかかる訴訟は訴権の範囲をこえた(訴権を有しない)不適法な訴として却下すべきことは、行政事件訴訟法第五条及び右最高裁判決から導き出される当然の結論である。

審査法第三六条第三七条による訴訟の性質は公職選挙法第二〇二条以下による選挙訴訟と全く同一である。第三六条は、原告に「訴の利益」を与えたものではなく、第三七条の限度においての訴権を認めたものにすぎない。

さきの東京高裁判決は、第三六条と第三七条とを総合して判断しないで、別個独立のものであると考え、第三六条の規定によつて、一般訴訟と同様な意味における訴権が原告に与えられたものとし、裁判所の審理には憲法に基く法令審査権と第三七条の規定とが併せて動くと解している点で根本的な誤りを犯している。

また、従来本件訴訟について最高裁判所判決もまた不適法であるとはしていない。しかしながら、これらの判決は、いずれも行政事件訴訟法の制定によつて民衆訴訟の性質が明示される以前になされたものであつて、民衆訴訟における法令審査権の問題が充分に検討されなかつたやに思われることは残念である。本件については、何卒この問題について明快なる判断を下されるよう強く要望する次第である。

本案に対する答弁

請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

との判決を求める。

請求の原因に対する答弁

一、第一項は認める。

二、第二項は認める。

三、第三項は認める。

四、第四項は争う。「現実の問題として」という意味が明らかではないが、投票者は本件審査の棄権する自由を与えられていたものである。

五、第五項は認める。

六、第六項は認める。但し、「審査の何ものであるか判らない者、裁判官の氏名の判らない者、罷免理由の有無の判らない者等の、絶対多数の無記入投票を全部罷免を可としない部類に算入して」という主張は争う。

七、第七項の主張は争う。

被告の主張

一、最高裁判所裁判官に対する国民審査が裁判官の任命行為に対する解職投票であることは、憲法第七九条の法条自体によつて明らかであり、最高裁判所判決(昭和二七・二・二〇)によつて確認されたところである。

信任投票であるとする見解は、原告独自のものである。

よつて、第七項1の主張は無意味である。

二、国民審査は、憲法第七九条第二項は、本件国民審査は、必ず衆議院議員総選挙の際に行うべきことを定め、さらに審査法第一三条は「審査の投票は、衆議院議員総選挙の投票所において、その投票と同時にこれを行う」と規定している。しかも、「投票所の入口に投票をしたくない者は投票用紙を受け取らなくてもよいと注意書がかかげられていた」ことは原告主張(請求原因第三項末尾)のとおりである。

従つて、投票所の入口と出口とが一ケ所であつたことは、投票所への出頭を強制したものであつて、身体の自由を侵したこと甚しいとし、投票所に入るとき投票用紙が交付され持帰りが禁止されていたことは棄権の自由を奪つたものであつて、表現の自由を侵したこと甚しいとする第七項2の主張は理由がない。

三、国民審査の本質が信任投票でないから、投票用紙に「各裁判官についてその任命を可とする記号をつける箇処が設けていない」ことは当然のことである。解職投票であるから、投票者が積極的に罷免したい裁判官に対する「罷免を可とする投票」と罷免の意味を伴わない「罷免を可とするものでない投票」との二者だけを区別すれば充分である。従つて、原告主張の如く、後者を「審査の何ものであるかを判らない者、裁判官の氏名すら知らない者、各裁判官について罷免の事由の有無を知らない者等の無記名投票」等に区別する必要は全くない。

また、二人以上の裁判官に対しそれぞれ別個の投票権を有しており、その投票権の行使が一枚の投票用紙によつて行使されるものではなくて、数名の裁判官国民審査につき各投票者の有する投票権は一票である。

右の最高裁判所判決もまた「法が連記制をとつたため、二、三名の裁判官だけに×印の投票をしようと思うものが、他の裁判官について当然白票を投ずるの止むなきに至つたとしても、それはむしろ前にかいたような国民審査の制度の精神に合致し、憲法の趣旨に適するものである。決して、憲法の保障する自由を不当に侵害するなどというべきものではない」と判示している。

従つて、本件国民審査が身体の自由、思想及び良心の自由を奪つたとする請求原因第七項34の主張もまた失当である。

四、国民審査の本質から考えて、投票の秘密は、投票者がどの裁判官に対して「罷免を可とする投票」をなしたか、具体的にいうならば投票用紙に連記して印刷された九名の裁判官の何人の氏名に×印を記入したかについて保持されれば足りるものである。「選挙管理人、投票立会人等の面前で棄権がたやすく認められることが著しく棄権の自由とその秘密が侵されている」という原告の論法に従うならば、現行のすべての選挙は入場の際にあらかじめ有権者に配布された入場券と投票用紙とを引きかえ、それを選挙人名簿控の氏名欄に交付済の旨を記入している(この手続は、投票の厳正をはかるため必要不可欠である)ため、投票事務関係者及び閉鎖時間に近く入場する投票者は、つねに棄権者の氏名を知ることができる(しかも投票録の作成が義務づけられている(公職選挙法第五四条))のであるから、すべての選挙は棄権の自由が侵害されているから無効であるというおよそ非常識きわまる結論に達するであろう。

請求原因第七項5の主張もまた取るに足りないものである。

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